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東京
中道改革連合(CRA)は大きな期待を背負って発足した。1月、有力野党の2勢力が、有権者が投票に向かう前に日本で影響力の大きい下院(衆議院)で勢力を結集すると発表し、与党の自由民主党(自民党)に対抗することを目指した。1年もたたないうちに、この合意は解消されようとしている。
- 1月、中道左派の立憲民主党(CDP)と公明党は自民党に対抗するため、下院で中道改革連合を結成した。
- 連合は振るわず、構成政党がそれまで保持していた167議席のうち獲得できたのは49議席のみだった。8月28日に参議院での統一会派結成で合意できなかったことを表明し、3日後には衆議院でも解消する方針を示した。
- この混乱により自民党への追及は緩む一方、新興ポピュリスト勢力が台頭する余地が生まれている。

1月の賭けは数カ月でほころんだ
野党を競争の舞台に押し上げるどころか、自民党が勝利し、中道改革連合は振るわなかった。投票前に構成政党が握っていた167議席のうち、確保できたのは49議席のみだった。
8月28日、中道改革連合の議員らは参議院での合同会派結成は不可能だったと表明した。その3日後、中道改革連合は発足から1年もたたないうちに衆議院でも解消する方針を示した。
中道の刷新に失敗したぎこちない組み合わせ
中道改革連合は、日本の中道野党が抱える根深い問題を解決しなかった。2009年から2012年に政権を担った野党勢力の主な後継である中道左派の立憲民主党(CDP)と、以前は自民党と連立を組んでいた公明党を結びつけた。いずれも新顔の登用や若い有権者との接点づくりに苦労してきた。
この弱さは長い歴史を映している。自民党は1955年の結党以来、日本政治を支配してきた。民主党(DPJ)が2009年に政権の座へ躍進した際には、二大政党制の到来を告げるかに見えた。しかし民主党の政権運営は不安定だった。2011年に巨大地震と津波が襲い、福島第一原子力発電所のメルトダウンを引き起こした際、不運にも政権の座にあった。その遺産が、後継である立憲民主党を「放射能を帯びた」存在にしている。
中道への訴えが不発に終わった理由
近年、相次ぐ不祥事が自民党に汚点を残してきた。同党は2024年と2025年の選挙で多くの議席を失った。公明党は昨年10月、新首相である高市早苗氏の下での自民党の右傾化に抗議し、長年の連立を解消した。協力することで、立憲民主党と公明党は政治の中道を取り戻そうとした。高市氏の前任者2人で、自民党内のよりリベラルな派閥出身の2人を離党・合流させようとしていたとみられる。
しかし、その呼びかけは想定された連携相手にも有権者にもほとんど響かなかった。結集のために、両党は中心的な信条を薄める必要があった。初の女性首相である高市氏が活力を放つ一方、中道改革連合の代表である2人の高齢男性は時代遅れに見えた。ソーシャルメディアが支配する時代に、こうしたベテランは「若い人を前面に立たせるべきだった」と、ある立憲民主党議員は嘆く。
選挙後も、中道改革連合は主張を鮮明にできなかった。多くの有権者は、両党は別々に活動すべきだと考えていた。合併協議が決裂したことは、さほど驚きではなかった。
崩壊が自民党とポピュリストの挑戦者に意味するもの
この混乱により自民党への追及は緩む見通しとなる一方、新興ポピュリスト運動が台頭する余地が生まれる。
「沈みゆく船には誰も乗りたがらない、特にこんなに小さな船には」と、東京・上智大学の中野晃一氏は言う。「タイタニックですらないタイタニック—ただ小さく、取るに足らない存在だ」。■
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